女王蜂
- nishi-kaze
- 2016年6月13日
- 読了時間: 14分

今回のインタビュー記事は少々長め。女王蜂・アヴちゃん、短い時間だったにもかかわらず、濃密なお話を惜しみなくたっぷりと聞かせてくれました。
掴めそうで掴めないもの、見えそうで見えないもの。そういうものってどんどん追いかけたくなって深みにはまってしまいがちなのですが、女王蜂もそういう求心力を持っています。そしてそれは、あの振り切ったライブパフォーマンスにも、このようなインタビューにも随所に表れていて、彼女はとても高いエネルギーを燃やして生きている人なのだろうと想像してしまうのです。
全国ツアー「金星から来たヤツら」広島公演では、オーディエンスの解放された興奮がどうにも治まらず、激しすぎるダブルアンコールが実現。各地、とにかく想定外のことが起こりまくるツアーになっているようです・・・!
Interview:Miyaco/Photo:MiNORU OBARA
―今日は女王蜂やアヴちゃんのことを知りたいんですけど、そのために獄門島一家のことも絡めて聞かせてください。獄門島一家は、女王蜂の活動休止中に組まれたバンドですが、その両者に関わる時のアヴちゃんの気持ちやモードには違いがありますか?
物理的に違うのが、獄門島一家では私がトランペットを吹くことと、歌詞を決めていかないっていうことですかね、全部即興でやっちゃうので。他のみんなはある程度決まってるんですけど。女王蜂はみんなで作ってる感じですけど、獄門島一家はショートケーキの上のいちごの気分で、好き勝手やれる感じがあります。
―あの中では姫のような存在なのかなって思ってました。
そうですね、すごく。みんなお兄ちゃんぽいというか恋人っぽいというか、ラブいですね。恋愛相談もしてるし、恋バナもしてるし、全員私の涙を見てるし。女王蜂もそこは変わらないんですけど、(獄門島一家は)もっと女でいられる感じですね。肌を出したらみんなぎょっとしてくれるというか(笑)。
―女王蜂の活動休止は苦しい決断だったと思うんですが、その中でこのバンドを組めたことっていうのは、アヴちゃんにとってどういう意味がありましたか?
まずバンドだと思ってないんですよね。音楽を諦めて実家に帰るか、東京にいるなら風俗業界に就こう思ってたんですよ。性的な奉仕のお仕事っていうのは、舞台に立ってる時の自分とそんなに変わらないような気がしていて。ステージに立ってお客様を相手にして1対1の距離で本気で向き合って通っていただく、ということですよね。それで自分がヘボかったら一瞬で飽きられるっていうのと同じだと思って。だけど、もう一度音楽やってみない?って言われて自信を持たせていただきましたね。自分がこれだけの鬼のメンツを集めて音楽をできるんだなっていうのを再認識させてもらえたのが獄門島一家でした。あと、私あまり物怖じがないんですよ。「緊張する~」って言っても本当は緊張してなくてそれを言いたいだけっていうか。「別れたい、別れたい」って言って別れないみたいな。でも、緊張させるのがすごく得意なんですよ。一緒に音楽をやっていると死を感じさせるというか、ミスをさせないというか。そういう能力も再認識させてもらいましたね。
―あのすごいメンツの中にも、そういう空気が生まれる瞬間があったということですか?
ありましたね。あと、そういう風に「すごいメンツだね」って言ってもらって初めて「あ、すごいんだ」って思うけれども、彼らはそれを感じさせないくらいすごいんです。本当にかっこいい人って上手いことばかりやるんじゃなくて、時々フッと笑えることをやるんですよね。本当にかっこいいことって笑いが入ると思うし、ホラー映画とかも時々休む時間が入るから名作になるけどずっと怖いだけだと逆にギャグに見えてきちゃうというか。そういう意味ですごく笑いのある人たちですね。
―その時期は、女王蜂が活動再開するかどうか分からない状況だったんですよね。
そうですね。
―女王蜂が続くかどうかわからない中でも音楽が続けられる状況にはなった、その獄門島一家は長く続けていけそうな予感はありましたか?
長く続けられるとは思いますね。でも、たくさん集まっちゃダメだと思う、オリンピックくらいの感じでやったらいいと思います。それか、気まぐれに明日やろうぜっていうくらい。私は今、女王蜂というバンドでコンスタントに活動してますけど、例えばライブは私が明日事故に遭えばできないものだし、何があるか分からない。それでもやろうっていう約束があってやるものですよね。そういう約束って生きていく上ですごく多くて、すごく大事な気がしていて。だから、女王蜂は活動休止してまでもやりたいバンドだったからこそ、獄門島一家っていういつやるか分からないような真逆なものを持っていたいと思いますね。
―スタンスを変えながらやれるから続けられるっていう感じですか?
そうですね。両極って逆に似てるんですよね。すっごく冷たいものを触った時と、すっごく熱いものを触った時って、同じくらい肌がビックリするというか。両極は似てるっていうのは、私の中に一番あるものなのかもしれない。声の高い低いもそうだし、よく言われるものだと男と女とか、天使と悪魔とか。そういうものがいつも同居してるのかもしれないですね。
―今回その2組でスプリット作品をリリースできたことに対しては、どういう気持ちですか?
やったぜ!という感じです。最初はそんなこと夢にも思ってなかったんですけどね。シングルを出すにあたって何をやると面白いだろうって考えて。全員がイケメンイケ女で、素晴らしい人たちが集まってる中で自分がプロジェクトをふたつ持ってるということで、スプリットで出すっていうのは割と前代未聞だと思ったのでやらさせていただいて。面白かったですね、格闘ゲームを模したものを作ったり好き放題やって、レコード会社の力を思い知りましたね。いろんな人の力を借りて面白いことを好き勝手やらせてもらうことの楽しさをすごく感じました、責任と無責任のせめぎ合いとかね。
―その中に入っている“金星”という曲を聴いた時に、私の中にあった女王蜂の像がまた変わりました。初期のCDを聴いていた頃の私は、後に女王蜂がこういう曲を作ることを一切想像しなかったなぁと思いました。
えー、嬉しいですね。
―過去の女王蜂にはあまりなかったディスコサウンドだと思うのですが、こういう曲を作ろうと思ったのには何かきっかけがあったんですか?
まず、多面体に見えるのは、私の性根が女の化身っていうくらい女なんですよ。女の心って猫の気まぐれみたいにコロコロ変わっちゃう――もちろん全部本当の気持ちですけど、だから私は顔も毎日違うし。多面体としてどうしても居てしまうから。曲を演奏するときも毎回違う気持ちなんですよ。ライブ10本やったら絶対10本とも違うんです。
―同じ曲を演奏してても、っていうことですか?
そう。それこそスタジオで10回同じ曲を演奏しても、毎回乗ってる気持ちが違うんですね。っていうことになると、今この曲を作ってるっていうことは私自身予期していなかったけれども、これからもずっとこの感じでどんどん裏切り続けるというか。自分が毎回同じことをやる、という色気が理解できないんですよ。だけど、女王蜂をやり続けるのはセクシーなことだと思うんですね、例えば同じ人とずっと付き合う事みたいに。それは、同じ曲をやって毎回違うことを感じるのと同くらいセクシーなことだと思うんです。なぜなら、それは興味が終わらないっていうことだから。老舗の料理屋でマスターが、「この味変わらないね」って言われると「いや変わってるよ、毎年みんなの舌は変わっていくからそれに合わせて一番おいしいものを作ってるだけだよ」って答えるんですって。変わらない味=実は少しずつ変わっているからずっとおいしいって意味なんですよ。そこは(女王蜂でも)ずっと考えるんですよね、毎回毎回ぶっちぎるっていう意味で。この曲を作った経緯としては、“く・ち・づ・け”をシングルの頭に持って来ようと思ってたんですけど、明確なダンスサウンドで、例えばフェスに出るにしても、昼夜問わず聴ける女王蜂の曲ってあるんじゃないかなって思って。いろいろ考えてる時に、レコード会社の方から資料をいただいたんですね。今、日本のロックシーンを引っ張ってる人たちの作る四つ打ちサウンドというのをすごくたくさん聴きました。その感想としては、この人たちはディスコには行ってないんじゃないかなって思ったんですよね。夜のクラブシーンとか、お酒が無くても音楽を聴いてテンションが上がる感じとかを知ってるのかなって。クラブの良さって誰でもヒーローっていう部分だと思うんです。ハウスっていうジャンルはゲイカルチャーで生まれたそうなんですね、曲が流れてる間はここが自分たちの家だよっていう。だから、ライブのように演者やDJブースを見て踊るんじゃなく、誰もがヒーローだからお互いを見あって踊ろうぜっていうもので。そういう由来を教わったり、今の日本のロックシーンが四つ打ちサンドを取り入れてるのを聴いたりして、すごく空白になってる所をやったんだと思います。で、男性ボーカルの曲ばかりを聴いたので、スーツ着てやろうかなって思って。基本的に自分のことを歌うのは嫌なんですよ。自分を枕にして大きなものを語るのはすごく大事なことだと思うのでチャレンジしてるんですけれど、私は自分のことを自叙伝みたいに歌ってもいい人間ではないと思っていて。でも、世の中に物申すっていう感じの人が多いから、物申さなかったらできました。だからカウンターなのかもしれないですね。
―なるほど。歌詞も、例えば『奇麗』はすごく生々しかったけれど、それと対比すると内面を思い切り表出しているという印象は薄くて。それはそういう理由なんですかね。
そうですね。その時は、私は別に届かなくてもいいかなって思ってそう歌ったんですけれど、そこはつまり誰でもヒーローっていうことだと思います。ライブになったら私たちがメシアだし女帝なので空間支配は絶対にするんですけれど、生活の中では、「朝に聴いたら元気出る」っていう人もいれば「夜聴いてちょっと泣ける」っていう人もいるだろうし。そういうものをこれからも作り続けたいなと思いますね。
―“金星”に限らず、初期からずっとサウンドは変わり続けてると思うんですが、個人的には活動再開後から特に、音がよりキャッチーになったという印象があったんです。その辺りはあまり意識されていないですか?
うーん、いつだってキャッチーですよ。全力キャッチー。だって、『魔女狩り』『孔雀』って楽器初めて1年ちょっとの人たちが作ったアルバムなんですよ。10代の衝動っていうとあれですけれど、楽器を全然弾けないのに人を感動させるってどうやったらできるんだろうって考えて作ったんです。あの時のメロディーやリフは今でも同じ気持ちで演奏できるし、それをアップデートしていくお仕事なんですね。キャッチーになったと言われたら確かにそうなのかもしれないですね、でも、今やってる曲たちもライブでどんどん化け続けてるので、私たちはどんどんえげつなくなってると思いますね。“金星”がダンスナンバーと言われるけれども、ダンスナンバー=ミックスが通用しやすいから、例えば1番で演奏を辞めて後々2番を持ってくる、その間に他の曲をやるとか――クラブDJがやるテクニックですよね。そういうのも全然やるし、手段が増えたというか、楽器を始めて数年経ってるので出来ることは変わってるし。私は、自分の年齢は犬猫のそれだと思ってるんですよ、だからもう化け猫ですよね。だからすごく手段を持ってると思いますね。それから、私は音楽的なルーツを他人から当てられたことが無くて、たぶん膨大にあり得ないものを聴いてきてるんだと思いますね、だからこれからも翻弄し続ける自信はありますね。今作ってる曲の中で、昔の女王蜂を聴いてた人が喜んで、最近聴いてくれてる人たちが離れていきそうな曲もあるんですよ。それをどうやって出すかっていうことですよね、それをしてもいいタイミングとそうじゃないタイミングってあるじゃないですか。今はそれを待つことが出来てるのかもしれないですね。
―MVを見ていても、初期のアヴちゃんの笑顔は何かを企みがありそうに見えるし、得体が知れないという感じだったんだけど、最近の、例えば“スリラ”の笑顔はただただ可愛くて裏がなさそうに見えるというか。だけど、話を聞いてると本当にそうなのかなって分からなくなってきました(笑)。
今の方が得体が知れないし、企んでますよ。だから企んでいるように見えない笑顔を取得したんだと思います、すっごい笑顔だけど何考えてるか分からないみたいな(笑)。もっと野生なんですけどね。だからすごい勢いで成長してるんだと思います。さきほども言いましたけど、同じことが出来ないんですよ。同じライブをすることも、同じテイクを録ることも、同じ仕事をするっていうのはなかなか難しいじゃないですか。それがバンドサウンドの魅力ですよね。でも、それだけで(変化を)示すにはやっぱりちょっと違うんですよ、もっともっと分からないとダメというか。自分たちが変わったよって言っても周りが変わったと思わなきゃ違うと思うし、周りが変わったって言っても本人は「これしきで変わったと思ってるの」って感じてるケースもあるし。そこのギャップは楽しむしかないですけど。だってね、ライブってお客様のためにやるけれど、エゴイスティックにやらないと人生損じゃないですか。きっとそうだと思う、ひとつのエゴに膨大に動くっていうのがすごくかっこいいことだと思いますよ。
―作品の話から少しずれるんですけど、ずっと聞いてみたかったことがあって。
どうぞどうぞ。
―アヴちゃんの日本語の使い方が独特できれいだなと思っていました。言葉に対して意識してることって何かあるんですか?
きれいですか?ありがとうございます。無意識だと思うんですけど・・・私、言葉をすごく信じてるんですよ。言霊とかいうレベルじゃないくらい信じてるんですよね。言葉を嘘にしてしまう人もいるけど、私は言葉通りに生きてるから。例えば『奇麗』っていうアルバムの中に“始発”っていう曲があるんですけど。すっごいドロドロの恋愛をしようと思ったんですよ、一旦ダメになった恋愛を、もう一度やけぼっくりに火をつけて同じ人と恋愛をしてる時に書いた曲で。書いてたら、無意識だったんですけどなぜか涙が止まらなかったんですね。一気に書き終えて、見たらなぜか別れの曲なんですよね、その時は「どうしてだろう」って思ったんですけれど。それから幾年か経ってその方とお別れした時に、その歌詞通りに別れてたんですよ。そのことに後から気付いて驚いて。そういう事が結構あるんですね。なので、私の正体は曲なのかもしれないし言葉なのかもしれない、そんな気がする。なので、私よりも大事なものが私の中にあるから、言葉が熱を帯びてくるのかもしれないですね。例えば自分を磨いて美しくいたりしても、自己満足っていうことよりも、そういう自分を使って何をするかっていったらライブがしたいしアートワークを作りたいんですよね。今、言葉を発してインタビューをしてもらって何がしたいかっていうと、残すっていうことなんですよ。残ったものの方が私よりリアルなんじゃないかなって思うんです。日本語って美しいと思うんですよ。今フランス語を習ってるんですけどすごく難しいんですね。でも日本語の方が難しいし、他の言語を習ってから日本語の美しさをすごく感じましたね。なおかつ、育ちだったり心だったり、同じ生活者でもみんな言葉使いは違うじゃないですか。そういうのがとても現れやすい言語なのかなって小さい時から思ってました。そういえば、ずっと褒められてたかも。小学生の時に作文を読んだら国語の先生に「すごくきれいな日本語ですね」って言われて。国語とか本読みとか大好きでした。本気で読めば、そこの人になれるというか、演技以上に入り込めるような気がしてましたね。
―そうなんですね。言葉に力を感じて、すごく伝わってくるものがあります。女王蜂は今ツアー真っ最中なんですが、今のところどんな感じですか?
凄まじいですね、ヤバすぎ。ちょっと訳がわからない、あり得ないことが起こり過ぎてて枚挙にいとまがないというか(笑)。私が何かミスしても繋げてくれる演奏だし、女王蜂の底力を感じてますね。即興性って獄門島一家の専売特許だったんですけれど、それを女王蜂が身に付け始めてるっていうことが恐ろしいです。あと、私たちは音楽業界随一のナイスバディーバンドかなと思い始めましたね。でも、それを出していっても涙してる人もいればモッシュしてる人もいるから、やっぱりいいお仕事だなって思いましたね。それに尽きます。
―ファイナルになる頃には大変なことになってそうですね。
想像つかないですね。ファイナル限定の面白いことも考えてるんです。だけど、毎回ファイナルの気持ちでライブしてるんですよ。何があるか分からないから、今日しか会えない人も絶対いますしね。有限性を確かめつつ、もっと先があるんじゃないかっていう夢も見る気持ちも残しつつ、その場で培われる無敵感も大事にしつつ、面白いことをやっていきますのでご期待ください。
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